「死というものは、遺された者にある」 - 照泰仏堂

「死というものは、遺された者にある」

11月 22, 2020 by 社長 幡司 剛成

皆さん!!こんにちは。

息子が幼稚園で年長さんに叩かれたらしく、息子は黙ってたらしいんですが、友達が先生に言いに行って、先生がその年長さんを息子の前に連れていき謝らせたらしいです。

叩いた年長さんは泣いてたらしく・・・

そこで息子は一言いい放ったそうです。

「男が泣くな!!」

と・・・

二つ上のお兄ちゃんに偉そうに言ったらしいです!!

大爆笑(^○^)

私がよくいう言葉です。

息子がよく泣くのでね。

自分のことは棚に上げて・・・

親の言葉は気をつけなければなりませんね(¬_¬)

 

 

さて、先日、ドラマを見ていて心に響いたセリフがありました。

 

「死というものは、遺された者にあるものだ」と・・・

 

本当にそうだなと。

私も母親を亡くし、日々の葛藤の中で生きてはいますが、いないという現実は変えられないのです。

いろんなことはわかっていますが、頭でわかっていても心だけはなかなか頭についてきてくれなくて・・・

ですが、そんな時ばかりではないので、心が前向きになったときに、無理やりプラスへもっていきます。

 

その時に考えるのが「母が遺してくれたものを、どう生かせれるか」・・・

 

たとえば、

「同じ境遇の方を励ますには、私がどれだけ明るく元気な姿を見せられるか」

「見返りを求めない優しさ」

「生き切る姿」

 

亡くなった母親に目を向けるのではなく、生きている私達の生活の中で「遺してくれたものの生かし方」を考えた方が、亡くなった母親も報われ、繋げていけるのではないかと・・・

 

繋げることが、私達生きている人間の務めではないだろうかと。

 

敬う先にあるものを見つけられたら、きっと心が楽になるのであろうと。

 

それが「死というものは、遺された者のためにある」ということだと思います。

 

「楽」を知るには、その前に「苦労」がありますからね。

 

亡くなった母親から私を通し、他人に繋げることで自分に返ってくると思われます。

良いことも、悪いこともね。

 

ごめんなさい。表現が難しくて・・・

結局は!!母親が喜ぶことを考えて生きていこう!!ということです!!

それが私の務めでもあり、ためでもあります。

 

「バッター楽に・・・」

私、人生という打席の中で追い込まれてますからね(¬_¬)

 

 

感謝で始まり、感謝で終わる。そして、また感謝が生まれる。

 

その時、その一瞬を大事に・・・

 

照泰仏堂  代表取締役 幡司剛成

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