「死というものは、遺された者にある」
皆さん!!こんにちは。
息子が幼稚園で年長さんに叩かれたらしく、息子は黙ってたらしいんですが、友達が先生に言いに行って、先生がその年長さんを息子の前に連れていき謝らせたらしいです。
叩いた年長さんは泣いてたらしく・・・
そこで息子は一言いい放ったそうです。
「男が泣くな!!」
と・・・
二つ上のお兄ちゃんに偉そうに言ったらしいです!!
大爆笑(^○^)
私がよくいう言葉です。
息子がよく泣くのでね。
自分のことは棚に上げて・・・
親の言葉は気をつけなければなりませんね(¬_¬)
さて、先日、ドラマを見ていて心に響いたセリフがありました。
「死というものは、遺された者にあるものだ」と・・・
本当にそうだなと。
私も母親を亡くし、日々の葛藤の中で生きてはいますが、いないという現実は変えられないのです。
いろんなことはわかっていますが、頭でわかっていても心だけはなかなか頭についてきてくれなくて・・・
ですが、そんな時ばかりではないので、心が前向きになったときに、無理やりプラスへもっていきます。
その時に考えるのが「母が遺してくれたものを、どう生かせれるか」・・・
たとえば、
「同じ境遇の方を励ますには、私がどれだけ明るく元気な姿を見せられるか」
「見返りを求めない優しさ」
「生き切る姿」
亡くなった母親に目を向けるのではなく、生きている私達の生活の中で「遺してくれたものの生かし方」を考えた方が、亡くなった母親も報われ、繋げていけるのではないかと・・・
繋げることが、私達生きている人間の務めではないだろうかと。
敬う先にあるものを見つけられたら、きっと心が楽になるのであろうと。
それが「死というものは、遺された者のためにある」ということだと思います。
「楽」を知るには、その前に「苦労」がありますからね。
亡くなった母親から私を通し、他人に繋げることで自分に返ってくると思われます。
良いことも、悪いこともね。
ごめんなさい。表現が難しくて・・・
結局は!!母親が喜ぶことを考えて生きていこう!!ということです!!
それが私の務めでもあり、ためでもあります。
「バッター楽に・・・」
私、人生という打席の中で追い込まれてますからね(¬_¬)
感謝で始まり、感謝で終わる。そして、また感謝が生まれる。
その時、その一瞬を大事に・・・
照泰仏堂 代表取締役 幡司剛成